Introduction
アイルランドにはいつも音楽があふれている。街角に、パブに。荒涼とした海岸や丘陵にさえ。家族や仲間、見知らぬ人といる時も、そして一人の時も……。長きに渡るイギリスの支配に飢饉、北アイルランド紛争など、激動の歴史を生きてきたこの島の人びとは、ユーモアと皮肉まじりに、自由への抵抗や日々の悲哀を美しい旋律にのせて、はるか昔から歌いついできた。その土壌はU2、エンヤ、ザ・クランベリーズにシネイド・オコナー、近年でもホージアやフォンテインズD.C.など世界的なアーティストを生みだしている。
イギリスから部分的な独立を果たしてから100年あまり。国境が一つの島を北と南に分断し、今なお植民地時代の影が残るなか、アイルランドではフォーク・リバイバルと呼ばれる新たなムーブメントが起きている。担い手はアイリッシュ・フォークの伝統を受け継ぎながら、R&Bやヒップホップ、パンクなど多様なジャンルから影響を受けた新しい世代のミュージシャンたち。宗教や信条はそれぞれに違えども、彼らはみな等身大の感覚で祖国の文化や言語に向き合い、社会の矛盾を鋭く見抜きながら、まっすぐに未来への希望を歌う。
『ケルト・ユートピア』はアイルランドの現在を、活気づくフォーク・リバイバルのミュージシャンの視点から捉えたドキュメンタリー。人びとの心に響く豊かな音楽に、ポストコロニアル時代のアーカイブ映像を交え、歴史の傷跡に対峙するアイルランドの現在を浮かび上がらせる。
過去の抑圧と明るい未来への夢が自由に歌われる島。ここは音楽のユートピアだ。
デニス・ハーヴェイ監督&ラース・ローヴェン監督からのメッセージ
受け継いだ暴力の歴史に対して、自分たちは何をすべきか? 抑圧的な文化をそのまま受け入れるのか、自分たちの理想の形に変えていくのか? そんな問いを胸に抱きながら、私たちは4年以上にわたってアイルランド全土をくまなく旅をし、その課題に音楽を通して向き合う素晴らしいミュージシャンたちのもとを訪れた。抑圧や占領、そして戦争が当たり前に起こるこの世の中で、『ケルト・ユートピア』は別次元の周波数で音楽を奏でる。そこは希望が生まれ、明るい未来が実現するかもしれない世界だ。
Column
分断国家は新生アイルランドの夢を見る——ケルティック・ユートピアとは何か?
不思議な出だしである。10歳くらいの女の子がアコーディオンを演奏する。ただし、無音である。教室での音楽会には老若男女が集い、熱心に耳を傾けている。いつの時代の映像なのだろうか? カラーなので1950年代以降だろう。それにしても画面全体が初々しい。
そこにナレーションが入る、しかも英語ではなくアイルランド語で。1921年、英国から部分的な独立を果たしたアイルランドは古代ケルトの伝統に従って再建されるはずだったが、新しいリーダーやカトリック教会のせいでそれもかなわず、何千もの未婚の母が投獄され、横領がはびこった、また、国語であるアイルランド語は英語化された社会になじまなかったとネガティヴなことが並べられ、最後に、そんな時代の齟齬をフォーク音楽が語り継いだ、と。
つぎに男たちが、草に覆われた岩場を歩いている。切り立つ岩場は海に面しており、その入り江に羊の死骸を見つける。「ひでえ臭い!」と悲鳴が上がる。そして『ケルティック・ユートピア』(邦題『ケルト・ユートピア』)というタイトルが現れる。しかも、二つの言語で、最初にアイルランド語、次に英語で。
分断国家アイルランド
本作品はとくに1921年以降のアイルランドを記録映像と10数組のミュージシャンの声と演奏を交互に織り交ぜながら描いていく。なぜ1921年か。この年を境に南北アイルランドは別々な道を歩むことになったからである。南26州はアイルランド自由国に、北6州が北アイルランドになった。冒頭の「部分的な独立」とは、「自由国」の自治領という身分についてである。アイルランドが英連邦を離脱して独立したのは1949年のことだ。まだ若い国なのだ。一方、北アイルランドは以来、英国の一部である。
アイルランドは分断国家である。この映画は南北を縦断し、さらに東西を横断し、「ケルティック・ユートピア」なるものを問い、その可能性を示唆する。それでは、なぜ音楽が必要なのか。音楽は住民の声を内蔵しているからであり、「ユートピア」は合意や条約などの政治的解決だけでは実現しないからである。
たとえば、北アイルランドは1994年の停戦、1998年のベルファスト合意を経て、テロなき日常と議会の復活を手にしたが、住民は依然としてプロテスタント、カトリックという宗派ごとに棲み分けをしている。そして両者を隔てる「ピース・ウォール」という壁は、合意後、減ったのではなくむしろ増えた(2011年5月発行の現地新聞によると、1994年に26あったものが2011年になると88に増加した)。すなわち、政治的解決は紛争に終止符を打てるが、限度がある。一方、音楽は「戦車を止めることはできない」が(当地出身の詩人、シェイマス・ヒーニーの言葉)、対立する両者に共有地を差し出す。
1921年以降、アイルランドの問題は南北それぞれで内面化した。南は英国を排除したぶん、アイルランド色を強くする。北は、英国であることに異を唱えるカトリック系住民の声を無視して英国色を強くしようとする。一つの島でアイルランドと英国という二つの国家が自己主張し始め、ときに暴走した。
南と北 それぞれの歩み
南から見ていこう。26州では住民の90%以上がカトリックであったため、教会の権威がいや増し、住民の足かせとなった。カトリック教会は離婚や中絶を認めなかった。アイルランドにあって離婚が合法化されたのは1995年、中絶の容認にいたっては2018年である。また、教会は堕落し、小児に対する性的虐待というおぞましい問題も露見した。
人びとは忘れない、マグダレン洗濯所のことを。妊娠した未婚女性を収容し、出産した子どもを秘密裏に埋葬したうえに、女性を監禁し、労働に従事させていた施設を。18世紀にさかのぼるこの施設は、自由国成立後の1922年以後ですら国内に10か所以上もあり、1996年になってやっと閉鎖された。そして、1984年、ロングフォード州グラナードに住む15歳の少女が町の一角にあるマリア聖廟の前で妊娠9カ月の男の子を出産し、母子とともに死んだというできごとを。あるいは2009年の調査では1975年から2004年までダブリン大司教区の教会内で320人以上の性的虐待があったことを。
南はアイルランドを取り戻そうとする。その対象は国語(アイルランド語)であり、国技(ハーリングやアイリッシュ・フットボール)である。しかし、文化の根源であるアイルランド語は、植民地語である英語に支配されただけではなく、アイルランド人みずからによって息の根が止められてしまった。近代的ではないという理由で使用を拒んだのである。20世紀になって急に人工呼吸器をとりつけても言語は生き返らない。
一方、北は分断社会を築く。アイルランド島自体に国境線があるものの、北アイルランドは内側にさらなるイギリスとアイルランドを作るのである。そもそも、成立当初から3分の1のカトリック(「アイルランド人」)がいた。しかし、プロテスタントが3分の2を占めるという数の力を背景にして、さらには不正選挙を行って、いびつなプロテスタント国家を作っていった。しかし、その国家も1960年代後半から始まった公民権運動によってほころびが見え始める。1972年には議会が停止し、英国による直接統治下に入る。
映画では、おそらくベルファストのボンベイ・ストリート(カトリック地区)の住民だろう、プロテスタントが自分たちの居住区に警察といっしょに入ってきて家を燃やしたという証言場面が出てくる。1969年のことで、この年に紛争が始まったとされる。
これまで北アイルランドではカトリックがアイルランドの伝統の、プロテスタントが英国の伝統の担い手であった。事実、ベルファストのフォールズ・ロードというカトリック地区にはアイルランド語の学校がある。アイルランド語の新聞さえ発行されている。しかし、時間の経過は少しずつ変化をもたらした。注目すべきは宗派別人口の推移で、いまやカトリック系がプロテスタント系人口を上回った。また、中立的政党が議席を伸ばし、二項対立的な世界は揺らぎ始めている。
夢見るユートピアへ
そして、人びとの意識が変わりつつある。他者を思い始めるのである。一人のフィドラーはアイルランドの伝統曲をピース・ウォールという境界線で演奏していた。プロテスタント系住民にも届けようとしているかのように。映画では「勝者は歴史を書き、敗者が曲を書く」という格言めいた言葉が引用されるが、いまや勝者も敗者もない。北のプロテスタントも‘Soul in Pain’(「くるしい魂」)という曲を書く。
その曲を歌うヤング・スペンサーは言う——「ゲートで待つから語ろうぜ」と。彼が生まれ育ったベルファストのシャンキル・ロードはピース・ウォールを隔ててフォールズ・ロードと接する。両地区は壁で分断され、夜間、両地区を出入りできるゲートは締まる。それでも彼は壁の向こう側(敵/隣人)に向って「ゲートで語ろう」と語りかける。さらにP.R.O.D.と主張する。「プロッド」とは「プロテスタント」を意味する俗語だが、このラッパーにとってそれは「熱意・リスペクト・機会・努力」なのだ。
また、南もとくに1973年のEC(現EU)加盟以来、変化を見せる。1990年代には「ケルティック・タイガー」という好景気に沸いた。同時に、グローバル化に対抗するかのように、自国文化に目覚め始める。その最たるものがアイルランド語である。これまでダサいと思っていたものが実はイケてると。国語の自覚は文化の等質化への防波堤となる。社会は変化した。2015年、当時、保健相であったレオ・バラッカーは同性愛者であることを公表し、2017年を契機に二度にわたり首相を務めた。アフリカ系を含め、この国への移民たちは音楽の担い手となった。
アイルランドはユートピアを夢見る。その実現には南北統一が伴うだろう。「イングランドにしたらこっちは田舎者、南も北も関係ない、みんなじゃが芋野郎だ」と一人が語っていた。つぎにアイルランド島を取り囲む海を称える歌が流れていた。この島は別の島国に生まれ変わるかもしれない。
Cast
デニス・ハーヴェイ監督による「ケルト・ユートピア」プレイリスト(Spotify)
Útóipe Cheilteach || Celtic Utopia
ザ・メリー・ワロパーズ
The Mary Wallopers
ダンドークを拠点に活動するフォーク・バンド。チャールズとアンドリューのヘンディー兄弟とショーン・マッケンナによって結成され、その後の新たなメンバーの加入と2025年のショーンの脱退を経て、現在は5人編成で活動している。コロナ禍のロックダウン中に自宅を改造したパブから配信したライブが大きな話題を呼んだ。
ネグロ・インパクト
Negro Impacto
ボーカルのチチとプロデューサーのローレンス(akaストレンジ・ラブ)によるネオ・ソウル・デュオ。R&B、ファンク、オルタナティブを取り入れた洗練されたサウンドで、ライブでは圧倒的なパフォーマンスをみせる。
プア・クリーチャー
Poor Creature
ランドレスのルース・クリントンとランクムのコーマック・マクディアルマダ、ジョン・ダーモディによるバンド。アイルランドとアメリカのフォークの伝統の交差点を探求している。
ランクム
Lankum
ダブリンを拠点とするイアンとダラグのリンチ兄弟とコーマック・マクディアルマダ、レディ・ピートからなるバンド。世界的にも高く評価され欧米の数々のフェスにも出演、2023年のアルバム「False Lankum」は英マーキュリー・プライズにノミネートされた。
ザ・デッドリアンズ
The Deadlians
ショーン・フィッツジェラルド(右)
歌手、吟遊詩人、作曲家、詩人、ストーリーテラーであるショーン・フィッツジェラルドによって、2017年に結成されたダブリンのバンド。フォーク、パンク、サイケデリックを融合させたサウンドで熱狂的なファンを持つ。
ニーシャ・マカウィル
Naoise Mac Cathmhaoil
ドニゴール南西部のゲールタクト(アイルランド語圏)にあるロスベッグ出身のシャンノース(アイルランドの伝統的歌唱スタイル)歌手。コーン・ウイ・リアダ賞を受賞したドミニク・マッキャルー・ヴェリージェに師事。
ブランウェン
Branwen
音楽、パフォーマンス、アートの分野を超えて活動するアーティスト。神話、民間伝承、シュルレアリスムから着想を得て、自由な実験精神で伝統を解釈した作品を発表している。
ジンクス・レノン
Jinx Lennon
ダンドーク出身のシンガー、詩人、スポークン・ワード・パフォーマー。社会階級や依存症など、現代の社会問題をテーマに膨大な作品を生み出している。飾らないリリシズムと忘れられない歌声が特徴。
オーアン・オー・ヒャナワン
Eoghan Ó Ceannabháin
コネマラ出身のシャンノース歌手、フルートとコンサーティーナ奏者。アイルランドの口承伝統へ敬意をはらいながら現代社会への批判を歌う彼の楽曲には政治的なメッセージが込められている。
ヤング・スペンサー
Young Spencer
北アイルランドのベルファスト生まれのラッパー、プロデューサー。ヒップホップ、R&B、エレクトロニカをベースに、自身のアイデンティティや哀しみ、そしてベルファストについて歌う。
ポスト・パンク・ポッジ
Post Punk Podge
リムリックを拠点とするシンガー、ヴァイオリニスト。Dr.アスパラガス・モンタギュー、DJジュラシック・パーク2とともにポスト・パンク・ポッジ&ザ・テクノヒッピーズとして活動。NME誌に「ガソリンを飲むような音」と評された挑発的かつ中毒性のあるサウンドが魅力。
ロイス
RÓIS
北アイルランドのファーマナ出身のロイスことローズ・コノリーは作曲家、ボーカリスト、マルチ・インストゥルメンタリスト。フォーク、シャンノース、ジャズ・ハーモニー、エレクトロニカを融合させた独自のサウンドを構築している。
ライジング・ダンプ
Rising Damp
ダブリンを拠点とするミシェル・ドイル(akaライジング・ダンプ)は過激ながら人を惹きつけるサウンドスケープを生み出すアーティスト。ライブでは重厚なビート、無表情なボーカルでディストピア的なビジョンが展開される。
ムル
MÚLÚ
MÚLÚことミアハクルイン・オドネルは、北アイルランドのダウン州キャッスルウェラン出身のシンガー兼マルチ・インストゥルメンタリスト。BIIRD、アフロ・ケルト・サウンド・システム、Huartanのメンバーとしても活動。
Staff
監督:デニス・ハーヴェイ
Dennis Harvey
アイルランド出身の映画監督。短編ドキュメンタリー『The Building and Burning of a Refugee Camp(難民キャンプの建設と焼失)』(2024)がスウェーデン映画協会ゴールデン・ビートル賞で短編映画賞を受賞、セザール賞を主催するフランス映画芸術技術アカデミーにより2024年の世界の優れた短編映画の一つに選出されるなど、数多くの賞を受賞している。自身の作品では脚本・監督のほか、プロデュースや編集も務める。初長編作品『I Must Away(立ち去らなければならない)』(2023)は移民をテーマにしたエッセイのような作品で、7年をかけ6カ国で撮影された。『ケルト・ユートピア』(2025)が長編2作目となる。最新作はアイルランドの非人道的な難民制度を問う短編『The New Policy Regarding Homeless Asylum Seekers(ホームレス難民申請者への新政策)』(2025)であり、制度に抵抗する人々へ捧げられている。彼の作品はシネマ・ヴェリテの手法を用いて、卓越した感性で人間を観察し、個人の視点から政治的な問題を問いかけている。欧州映画アカデミー会員、移民に映画制作の手段を提供する映画コレクティブ「ノンシチズン」のメンバーでもある。
フィルモグラフィー
『ケルト・ユートピア』(長編ドキュメンタリー、2025)
『The New Policy Regarding Homeless Asylum Seeker』(短編ドキュメンタリー、2025)
『The Building and Burning of a Refugee Camp』(短編ドキュメンタリー、2024)
『I Must Away』(長編ドキュメンタリー、2023)
『Morphing: The Film』(ビデオ作品、2020)
『The Block House』(短編フィクション、2018)
デニス・ハーヴェイ監督のプロダクション・ノート
アイルランドにおける僕らの世代はここ数十年、ある種の屈辱にさらされてきた。僕らの多くは、経済危機後に受け継いだアイルランドに自分たちが拒絶されたことを受け入れ、国を離れた。幸いアイルランド人はEU市民として国外で人生を立て直すことができるが、生まれ育った土地で居場所を築くことができない人がこんなにも多いのは悲しいことだ。だからこそ、この映画で取り上げたミュージシャンから大きな力とインスピレーションを与えられた。アイルランドで若者として生きるには多くの苦労があるにも関わらず、彼らは国に留まる決断をした。スクワットや家主の目を盗み屋根裏部屋に住みながら、長年支配的だった保守勢力を打ち破ろうとしていたのだ。
『ケルト・ユートピア』の発端は2020年、ラースと私がラースの前作『Fonko』(2016)について話している時だった。『Fonko』はポストコロニアル時代のアフリカの都市で、若いアーティストが自分のアイデンティティを見つけようともがく中で生まれた革新的な音楽を追った作品だ。当時はアイルランドが独立国として100周年を迎えようとしていた頃で、『Fonko』と同じことがアイルランドの音楽シーンでも起きていることに気がついた。独立国家としてまだ若いアイルランドは、西欧の隣国よりもアフリカやラテンアメリカの国々と多くの共通点を持ち、しかもそのことをほとんどの人が認識していないことに僕らは衝撃を受けた。
僕が1991年にダブリンで生まれた頃は北アイルランドで紛争があり、同性愛は違法、コンドームを買うには医師の診断が必要で、中絶は禁止されていた。南で国家を確立する際に政治の道具として利用されていたことでアイルランドの伝統音楽は保守的なものとみなされ、進歩的な若者はあえて触れようとはしなかった。だが今ではまるで違ってみえる。北アイルランドに平和が訪れ(脆い平和ではあるものの)、先に述べた若者主導の運動によって同性婚が合法化され、中絶禁止を定めた憲法も廃止された。
今ではより多くのアイルランドの若手アーティストが植民地時代の屈辱を振りはらい、フォークや伝統的な音楽にたち返り、それを音楽的にも政治的にも、新しいものへと変えつつある。経済危機後のアイルランド政府の対応あるいは不対応によって最も権利を奪われ見捨てられた世代のアーティストの一人として、自分たちのアイルランドの物語を語りたい。それは暗い過去から脱却し、国家の惨い保守主義に抗い、若い世代が誇りに思えるような国に生まれ変わろうとしているアイルランドの物語だ。これまでそんなアイルランドをスクリーンで見たことはなかった。だからその姿を観客のみなさんに初めてお見せできることをとても楽しみにしている。
監督:ラース・ローヴェン
Lars Lovén
ドキュメンタリー映画監督、ジャーナリスト、ラジオ・ドキュメンタリーのプロデューサー。世界40カ国以上で劇場公開および映画祭上映された監督作『Fonko』(2016)では、急速な社会変化を遂げるアフリカ大陸の複数の都市における現代の音楽シーンを追い、そのルーツを植民地主義との闘いに遡った。『ケルト・ユートピア』は2作目の長編作品である。スウェーデン・ラジオP2のために『Astor Piazzolla, tangons motvalsgeni(アストル・ピアソラ、タンゴの天才)』(2021)、『Det sista folkmusikhaket Det sista folkmusikhaket(最後のフォークミュージック・ハケット)』(2019)、『Rebetiko』(2017)等の音楽ドキュメンタリー番組を制作。彼の作品は音楽、政治、歴史の交差点に注目している。
フィルモグラフィー
『ケルト・ユートピア』(2025)
『Fonko』(長編ドキュメンタリー、2016)
ラース・ローヴェン監督のプロダクション・ノート
アイルランドの音楽シーンはいつでも際立っていた。音楽批評家として、アイルランドの社会や文化における音楽の存在感に気づき、それは西洋におけるほぼ唯一無二のものであると感じていた。だが他の多くの人と同じように、私はそれをロマンチックな視点で、特異ではあるが自然な現象として捉えていた。他の伝統が消えゆくなかで、たまたま日常において強い存在感をもつ民族文化が、ただ自然と現われているものと思っていたのだ。だがそれは間違いだった。
デニスとの対話を始めてからアイルランドの歴史と音楽を掘り下げてみると、アイルランドの進歩派たちは初めから知っていたことに気がついた。伝統音楽やフォーク・ミュージックが国の独立後に国家建設の手段として強力に推奨され、伝統的な要素とともに、アイルランドが歩んできた歴史の全てを背負っているということを。
私は新しいアイリッシュ・フォークやトラッドのシーンのバンドの曲をすでにいくつか聴いていて、伝統の周辺で彼らが作り出す音が大好きだった。ヒップホップやパンクといったジャンルから、成長するフォーク/トラッド・シーンに人々が引き寄せられてくる様子は見ていて実に興味深かった。だがアイルランドの伝統音楽を、その層の厚さや緊張感、そして矛盾も含めてありのままに捉え始めた時、彼らが実際に何をしているのかが見えてきた。彼らはただ伝統音楽にインスパイアされているだけではなく、伝統と、そして彼ら自身の歴史とも格闘していたのだ。
共に仕事をするうちに、私の外国人としての視点とデニスのアイルランド人としての怒りがあれば、音楽であろうと現代アイルランド史の一場面であろうと、その素材の中に異なるものを見出すことができることが分かった。彼との議論からこの映画のシーンやテーマへのアプローチが生まれていった。私は『Fonko』という作品でも同じく協働的なアプローチをとっていた。その作品では大きな題材をかなりのテーマ性をもって取り上げながら、観客が大勢のカリスマ性のある出演者に感情移入できるように描くことに成功した。『ケルト・ユートピア』はさらに良い条件が整っていた。というのも物語の地理的背景はより明確で、登場人物へ取材する機会も豊富で、物語を強固なものにするためには音楽的要素を映画の中でどう機能させればよいかが明確に見えていたからだ。
対話の中で、私たちは『テックス・メックス アコーディオン天国』(レス・ブランク監督、1976)や『Heartworn Highways』(ジェームズ・シャラプス監督、1981)といった作品を例にあげ、分かりやすく偶像化しがちな音楽のルポルタージュの作法から離れて、より観察的な視座に立つことで成しえる事を話し合った。また‟国の魂“という大きな物語を型破りな手法で描いた作品として、アイルランドの古典ドキュメンタリー『Rocky Road to Dublin』(ピーター・レノン監督、1967)や『The Road to God Knows Where』(アラン・ギルセナン監督、1988)も参考にした。
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